のっぽさんがしゃべった動画がみたい
NHKの教育番組「できるかな」の「ノッポさん」として知られる、
俳優で作家の高見のっぽ(たかみ・のっぽ)さんが、
2022年9月10日に心不全のため都内で死去していた報道が入りました。
88歳だったといいます。
のっぽさんが「できるかな」で喋ったときの衝撃がよみがえります。
喋った内容が感動的と時が経っても伝えられています。
どんな意味があったのでしょうか。
のっぽさんが喋らない5つの理由!
24年間もの間、のっぽさんは喋らずにこどもたちのために、
作品を作り続けてくれました。
なぜ、言葉を発しなかったのかその理由が5つありました。
理由①「何してあそぼ」を引き継いだ
のっぽさんが32歳の時に任された番組が、「できるかな」の前身の番組である「なにしてあそぼう」でした。
この番組で高見のっぽさんは構成アイディアの段階から任されて、
ミュージカル調のダンスや、パントマイムのみの無言で工作をする劇をやりながら、
キャラクターと掛け合う内容だったのです。
この時から、のっぽさんは言葉ではなく、表情や身体で表現していたのです。
理由②集中力
「できるかな」の前身の番組である「なにしてあそぼう」が終了した後、
なんと1年間はのっぽさんは「できるかな」に出演していないことが過去のインタビューで明かされていました。

ーしかもご本にも書かれていましたが、『なにしてあそぼう』から『できるかな』に移行したときは、一回降りているんですよね。その1年後に視聴者のたっての希望で『できるかな』にカムバックされたという。
そう、1年後に戻ったんです。
のっぽさんの出演していなかった1年間の「できるかな」は、
男の子と女の子たちで構成され、お芝居したり、しゃべったりしていたそうです。
全国の幼稚園・保育園の先生達からもう見ないという声もあり、
1年後にのっぽさんがカムバックしたということです。
言葉が多ければ多いほど、小さいお子さんは、集中力が途切れて、注意散漫になりやすいものです。

体で物事を表現するパントマイムで始めたからなんです。
喋らないから、子供は神経を集中してのっぽさんを見て理解しようとしますから、
脳の発達に刺激を与えるんです。
のっぽさんの無言のスタイルは、こどもたちの集中力を高めていたのですね。
理由③チャップリンに憧れていた
「なにしてあそぼう」で、ミュージカル調のダンスや、
パントマイムのみの無言で工作をする劇をやりはじめた理由には、父親の存在もあったようです。
のっぽさんのお父さんは、チャーリーチャップリンのモノマネで芸能活動をはじめ、
俳優として活動もしていたようです。
のっぽさんは父親の影響からダンサーとして芸歴をスタートしています。
ダンスとパントマイム、自分の好きと得意を掛け合わせるとものすごいことが起きるのですね。
理由④役者魂炸裂
のっぽさんは、ダンサーとして芸歴をスタートしましたが、なかなか売れない日々を過ごしていました。

役者魂が炸裂してたのか?離さない分、笑顔が素敵でした。
ダンサーも表現力が大切なので、言葉がないからこその自身の表現力で楽しませたいという想いもあったのかもしれません。
理由⑤声が渋すぎた
のっぽさんの声は、渋くてかっこいいイケボです。
教育番組には似合わなかったのではという意見もありました。

え~っと、確か声がダンディすぎて子供向け番組には合わなかったから・・・って話を聞きましたよ。
今その渋い声を最大限に発揮して歌手もされてます。
そんなのっぽさんが、「できるかな」の最終回でしゃべったことが話題となりましたね。
音声を聞いてみましょう。
のっぽさんがしゃべった最終回のセリフが感動的!
1967年から教育テレビ番組「なにしてあそぼう」「できるかな」に出演し、
一言もしゃべらずにジャスチャーで、工作を披露した「ノッポさん」。
1990年3月の最終回で24年間守っていた沈黙を破り、ノッポさんが言葉を発しました。
【音声あり】のっぽさんがしゃべった最終回のセリフ
【訃報】高見のっぽさん死去
— NHKニュース (@nhk_news) May 10, 2023
NHK教育テレビの番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが心不全のため88歳で亡くなりました
動画は1990年に放送の「できるかな」最終回、ノッポさんが番組内でしゃべった貴重なシーンですhttps://t.co/I52ricIhPV#nhk_video pic.twitter.com/Q5F72NFx6y
「あ~あ、喋っちゃった!今日は特別なんです。長い間ね、皆と友達でいたけれど、
四月からこの番組は『ともだちいっぱい』という新しい番組と代わります!」
最後までしゃべらずに終わりを迎えればよかったのに・・・という声もあったようです。
しかし、ノッポさんにはノッポさんの想いがあったといいます。
ノッポさんの最初で最後の喋りは、視聴者に向けてのお別れの挨拶だったのです。
自身の著書『ノッポさんがしゃべった日』にこう記されています。
大きくなったお客さんは僕を見に戻ってきた……いや、違う。
著書『ノッポさんがしゃべった日』より
僕を見に来たのではなくてノッポさんに会いに来た……
ノッポさんに会いに来たのではなくて、小さかった頃の自分に会いに来た」
子どもの頃はもちろん、大人になってもノッポさんの存在を覚えていた世代は、
ノッポさんの番組を見ると、幼い自分を思い出すこともあったかもしれませんね。
ノッポさんに会えなくなると、
泣き出す大人もいたという最終回。
これまで見てくれたすべての視聴者に向けてのご挨拶だったのでしょう。
ノッポさんのもとには、感謝の手紙が届いたと言います。
ノッポさんのプロフィール

氏名:高見 嘉明
生年月日:1934年5月10日
出身地:京都府出身。
出演番組:67年よりNHK教育(Eテレ)の『なにしてあそぼう』『できるかな』に出演。
作家・高見映としても多数の児童書、絵本、エッセイを発表。
テレビ、舞台の脚本、演出、振り付けも手がける
2005年には、『みんなのうた』で放送された「グラスポッパー物語」で歌手デビュー。
工作だけでなく、歌でもデビューを果たし、児童書や絵本、脚本や演出など、
ノッポさんを卒業してからも様々なことに取り組んでいたのですね。

1990年の若者向け音楽番組に出演した高見のっぽさん(当時56歳)。
雰囲気が違いますね。
のっぽさんの訃報が半年経ってからの理由
多くの人に親しみを与え、夢を与えてくれたノッポさん。

24年間もの間言葉を発しなかったノッポさん。
自分が亡くなったことも、半年以上ふせるようにと本人の希望だったと言います。
最後は言葉を残さず、旅だったノッポさん。

「できるかな」を見て育った世代には、悲しみが募りますね。
ノッポさんのご冥福をお祈りいたします
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