岸信夫の家系図から養子の生い立ちが発覚!実母親と育ての母親の結末が衝撃的すぎる!

兄弟
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岸信夫氏が議員辞職をしました。

後継者として、

息子の岸信千代氏が出馬表明をしたことで話題となりました。

岸信夫氏は、

故・安倍晋三氏と兄弟ですが、

姓が違うので家系図を使って調べると、

衝撃的な生い立ちだったことがわかりました。

目次

岸信夫の家系図

家系図をみると、

安倍家と岸家のつながりが読み取れます。

家系図

故・安倍晋三氏と岸信夫氏が兄弟ということは知られています。

しかし、何故、姓が違うのかと疑問につ方もいることでしょう。

婿養子になったのかと考えるのが一般的かもしれません。

安倍家と岸家には、深いつながりがあることがわかりました。

岸信夫が養子に出された理由

信夫氏

岸信夫氏は、

生後まもなく岸家に養子に出されていたのです。

岸家とは

この岸家というのは、

第56・57代内閣総理大臣の岸信介氏の家系です。

第61・62・63代内閣総理大臣である佐藤栄作氏は岸信介氏の弟です。

岸信介・佐藤栄作

岸家は、内閣総理大臣の家系といってもよいでしょう。

なぜ、この岸家に養子に出されたのでしょうか。

岸信介のこどもたち

第56・57代内閣総理大臣の岸信介氏には、

2人の子どもがいました。

岸信介の長男・岸信和とは

岸信和氏は、岸信介氏の長男として生まれました。

3歳の時に小児麻痺を患い、生涯足を引きずって歩いていたそうです。

父親の信介が総理大臣を務めていた一時期に、

内閣総理大臣秘書官を務めた経歴をもっています。

田辺仲子と結婚しましたが、

子どもがいませんでした。

そこで、安倍家から養子として岸信夫氏を迎えたのです。

養母・仲子さんは、

自分の子どもとして愛情を注いで信夫氏を育てたと言います。

では、なぜ安倍家から養子をもらったのでしょうか。

それは、

長女・洋子さんの嫁ぎ先が安倍家だったのです。

洋子さんは、

自身の兄へ自分が産んだ子どもを差し出したことになります。

岸信介の長女・洋子とは

第90・96・97代内閣総理大臣安倍晋三の母親であり、

父親は、第56・57代内閣総理大臣である岸信介。

内閣総理大臣に縁のある方です。

洋子氏

叔父も佐藤栄作内閣総理大臣であることから政治家の家庭の中で育ちました。

父親・岸信介が内閣総理大臣を務めていたときの秘書官が

安倍晋太郎であり、

のちに洋子の夫となる人物です。

安倍晋太郎

安倍晋太郎氏との間に3人の息子が生まれました。

長男・安倍寛信
次男・安倍晋三
三男・安倍信夫

ですが、

三男の岸信夫が生まれるときに、

岸家と安倍家の間で事前にある約束が交わされていたというのです。

岸信夫の養子としての生い立ちが悲しい

岸信千代さんの父親・岸信夫さんの生い立ちに驚きました。

岸家と安倍家の間で、

「安倍家の3番目が男なら岸家の養子とする」との約束が、

生まれる前から決められていたのでした。

三男の信夫が養子に迎え入れられたのは産まれて間もない1959年で、

岸信夫自身は、
自分が養子だとも、
実の父母が晋太郎・洋子で、
兄が寛信・晋三であることも知らずに育ったということです。

大学進学時に、養子と知る岸信夫

大学に提出する書類の中に、

戸籍謄本があり、

そこに『養子』との記載があったため、

自分が養子であったことを知ったそうです。

それからひと月ほど『何で教えてくれなかったんだ』という思いもあって、

頭のなかが一種錯乱状態に陥ったといいます。

大変ショックだったという岸信夫氏ですが、

そこから道を外れることもなく、

安倍晋三氏や家族との交流も途絶えることなく、

岸家の長男として家庭を築いていくのでした。

兄弟

岸信夫の産みの母親と育ての母親

岸信夫氏は、

岸家の長男として生き続けました。

『政治家にならない』いう条件で、

妻・智香子さんとも結婚に至ったそうです。

しかし、

岸信夫さんは政治家として歩みはじめることになりました。

そこには、

産みの親の安倍洋子さんの存在があったといいます。

産みの親・安倍洋子の存在

産みの母親・洋子

故・安倍晋三氏の母親である洋子さんは、

自分の子どもを岸家の養子に差し出しました。

この決断は壮絶だったことでしょう。

しかし、

内閣総理大臣を父親にもつ洋子さんにとって、

岸家を途絶えさせないことが自分の使命であるとも感じていたのかもしれません。

岸信夫氏を養子には出しましたが、

お腹を痛めた我が子なのでずっと溺愛し、

政治家になることを勧めたといわれています。

岸信夫氏が政治家となり、

岸家は安泰となりました。

しかし、

安倍晋三氏が銃撃されるという痛ましい事件が起きてしまいました。

安倍洋子さんは、

父親の岸信介氏も辞職後、

暴漢に刺されて重傷を負ったことがあったのです。

歴史が繰り返されてしまった瞬間でした。

波瀾万丈な洋子さんの人生は壮絶です。

育ての親・仲子は離婚へ

養母である信夫氏の母・仲子さんは、

我が子として懸命に育ててきました。

しかし、

実母・洋子さんの介入で、

信夫氏が政治家の道を歩むこととなったことに精神的に病み、

岸信和氏と離婚をしたといわれているそうです。

離婚後も信和氏と仲子さんは同じ老人ホームに入居しているという話がありましたが、

本当かはわかりません。

個人的には、

夫婦で幸せな時間を過ごしていたと願ってしまいます。

岸信夫の妻・智香子

信夫の妻・画像

岸信夫氏の妻の智香子さんも夫の政界へ進出に反対をしていたようですが、

最終的には、応援することに決めたそうです。

安倍洋子さんの働きかけがあったのではないかと想像ができます。

自分の息子を養子に差し出し、

ずっと無言を貫いてきた洋子さんの心情は、

想像を遥かに超えるものでしょう。

岸家を存続させるために、

父親の岸信介の意思を貫くためにも必死だったのかもしれません。

政治家の家に生まれた宿命を、

孫の岸信千代が受け継ぎ出馬表明をしました。

安倍洋子さんは、

内閣総理大臣の父親・息子・孫にもつ女として語られていく日がくるかもしれませんね。

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