2022年11月ワールドカップがカタールで開催されます。
11月1日に日本代表の発表があり、いよいよワールドカップに注目が集まります。
今回は、GKとして招集された権田修一選手についてまとめました。
うつ病を乗り越えた権田修一選手の精神性は、W杯の試合でも生かさせるでしょう。
GK権田修一うつ病乗り越えW杯出場!
いよいよサッカーW杯始まるんだニャ~!!
GK権田修一選手は、W杯代表メンバーとして招集されたのは2度目になります。
2大会ぶりの日本代表への招集は初という異例を成し遂げ返り咲いたGK権田修一選手。
2014年ブラジルで開催されたワールドカップでは、招集されたものの試合に出場することはなかったGK権田修一選手。
その翌年、2015年に、過度な負荷で疲労がとれない「オーバートレーニング症候群」を発症してしまったのです。「うつ病みたいな」症状で、現役引退まで考えたGK権田修一選手が復活し、W杯に2大会ぶりに招集された今回のワールドカップ。
今回のW杯では、GK権田修一選手がピッチ現れた瞬間にファンは号泣しながら、苦しい時間をよく乗り超えて帰ってきてくれたと喜ぶことでしょう。
今でこそ、GK権田修一選手は日本の守護神として活躍し、アジア最終予選は10戦中9試合に先発し、計3失点と安定感を発揮していますが、
精神的に追い込まれるきっかけになったとは、2014年のブラジルワールドカップだったといいます。
きっかけは2015年ロシアワールドカップアジア2次予選
2012年ロンドンオリンピックでは正GKとして4強入りを果たし、波に乗っていたGK権田修一選手。
2014年ブラジルワールドカップの日本代表GKに招集されて、活躍が期待されていた時期。
2015年ロシアワールドカップのアジア2次予選で、招集されたGKは4人。このうち権田修一選手だけが出場機会に恵まれずに、ベンチ外となったといいます。
日本代表に招集されることだけをみれば、素晴らしい実力の持ち主だということは明確ですが、サッカーを仕事にしている以上パフォーマンスが重視されるのがプロとしての第一条件。
2015年当時、所属していたFC東京においても成長し、貢献しなければという焦りから、過度な練習をトレーナーにお願いしていたといいます。
体はきついのに、練習量をさらに上げて自分を追い込んでいく。プロならばこのくらい・・・体がどんどん重くなり、集中力もパフォーマンスも落ちていき、クラブのスタッフに『もう限界です』と伝えたそうです。
このとき、GK権田選手は、サッカー中心の生活をしていたのに、「サッカーをやりたくない。」そう自分の心が感じているのに気が付いたそうです。
GK権田修一選手のうつ病の公表について
2015年に「オーバートレーニング症候群」と公表されたとき、精神的な疾患は外傷があるわけではない、完治の目途もたたない。骨折や手術とも違う。スポーツ選手の病気の公表には大きなハードルがあるようにも感じます。
朝日新聞のインタビューに権田修一選手はこのように答えていました。
――公表するのに、ちゅうちょはなかったのでしょうか。
「翌日から日本代表の活動があり、辞退するのに理由を公表しなければいけませんでした。ただ、できることなら、そっとしておいてもらいたかった、というのが本音です」(朝日新聞デジタルより引用)
気の公表から、寝込む日が続いたというGK権田修一選手。
外出することに前向きになれない時期もあったといいます。
GK権田修一選手の復活への道のり
GK権田修一選手の復活への道のり①家族の存在
その時に、自然に外出ができるようになったのは、当時一緒に寝ていたお子さんだといいます。
純粋に「可愛いなあ」と思えたという権田修一選手。親として、我が子の笑顔は、自分の凝り固まった心までも動かしてしまう不思議なエネルギーがあるのですね。
お子さんのただそこにいるだけの愛らしい寝顔と存在が、権田修一選手を外へ導いてくれたといいのですから、お子さんとの絆に感動してしまいます。
『この息子と公園に行く時間が楽しい』と思えて外に出られるようにもなりましたし、心配をかけた妻の支えのおかげと同時に、息子の存在も僕には大きかったです」(FRIDAYより引用)
ただ、奥様も息子さんもお父さんが元気でいてくれることだけを願っていたに違いないでしょう。
「当時を振り返ると、今、こうしてプレーできているのも信じられないというか…。現役を続けることが難しいという以前に、何もしたくなかった。もう無気力でしたね。
当時所属していたFC東京が公表した『オーバートレーニング症候群』は人によって症状は違います。僕の場合はある種のうつ病でした。とにかく寝られない。それなのに、起きられない。中学の先輩に焼肉屋の経営者の方がいるのですが、練習をすることさえ難しい時期に『もし現役を続けられなくなったら僕を雇ってもらえませんか』と相談したこともありました」(FRIDAYより引用)
うつ病や精神的に追い込まれていくと、無気力を感じる方は多くいることでしょう。苦しい試合で戦ってきたアスリートですら感じる恐ろしい病の症状の一つなんだと改めて実感しました。
GK権田修一選手の復活への道のり②環境を変える
無気力状態から少しずつ気分が向上してきたときに、これまで通っていたジムを変えた権田修一選手。再就職の相談をしていた焼肉店の先輩から紹介をされたジムへ変更したといいます。
元アメリカンフットボール日本代表、河口正史氏が経営するジムを紹介。
<経歴>
- ・サンクリメンテ高校にてアメリカンフットボールを始める
- ・立命館大学ではアメリカンフットボール学生日本一に貢献
- ・アメフット日本代表にも幾度も選出され、卒業後はNFLヨーロッパに渡り活躍
- ・NFLチーム「サンフランシスコ49ers」のキャンプに参加
- ・引退後、独自のトレーニングメソッドを世の中に普及すべくトレーナーとして活躍中。
NFL解説者としてNHK、G+などで試合解説も行なっている
外国人が発揮する爆発力を日本人の体型でどうしたら発揮できるのか。その体の動かし方を研究しているジムで、権田修一選手はその考え方に共鳴したといいます。
同じアスリートを極めた人だからこその共通点が多くありそうです。
スポーツジムを変えて、休息している3か月間で、活動的に身体を整えていったとしても、外傷の見えない精神疾患が完治したというわけではないのが、怖いところです。
権田修一選手も、「体が回復しても、心が戻り切っていなかった。」と当時を振り返っています。
権田選手は、当時お世話になっていたFC東京を離れることを選択し、環境を変えることにしたようです。
GK権田修一選手の復活への道のり③本田圭祐の言葉
FC東京を離れると決めた時に、GK権田修一選手にを頼ってきた人物が、2014年のときに日本代表で一緒だった本田圭祐選手だったといいます。
本田圭祐選手は当時、ACミランでプレーを続けていた本田選手のマネジメント会社がオランダ3部リーグのSVホルンの経営に参画するということで、「ゴンちゃん力を貸して」と連絡をくれたそうです。
全てが万全の状態ではない、ましてや「オーバートレーニング症候群」を公表して、日本代表を辞退した権田修一選手に声をかけてくる、本田圭祐選手の器の広さというか、最悪の事態を考えていない最強マインドというか、それほどまでに権田修一選手への信頼があったということ、このまま終わる選手ではないという権田修一選手の才能を見極めての依頼だったのか定かではないが、とにかく、この本田圭祐選手の依頼を受け、海外でのプレーと生活が始まったのです。
そして、海外での経験が、権田修一選手を日本代表復活へと導いてくれた大きな転換期となったのです。